Twtools(つぃつーるず)

2011年5月12日木曜日

「魔法少女まどか☆マギカ」と原発をこじつけてみた(まとめ)


(まだ見ていない方は、ネタバレ注意)

東日本大震災において、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

前回のエントリーは、衝撃的な事実が判明したところで終わった。

なんと、脚本の虚淵玄氏は、元々原発を意識して「魔法少女まどか☆マギカ(以下、「まどマギ」と記す)」を書いた節がある。しかも、原発を肯定する考えにあるようだ。

「夢のエネルギー」と言われているものも、結局は色々な対価やリスクがあるんだろうと思います。かつて原子力がそう思われていたようにね。でもだからと言って、危険なその力をただ否定し封印してしまうのは、自分は間違いだと思う。折り合いを付ける方法がいつかどこかにあるはずだと、探し続ける努力を怠っちゃいけない。道を探ることを止めちゃったら、それまでにあった悲劇や犠牲すら無駄になってしまう……と思うんです。http://nano.g.hatena.ne.jp/ext3/20110328/p1

しかし、彼の談話には、原発に賛否とかいう以前に、重要な意味が含まれているように思う。

それは、「まどマギ」の中でも一貫して語られてきた、「希望」には「絶望」という犠牲が、「祈り」には「呪い」という代償があるということである。

まどかが奇跡を起こし、宇宙を魔女がいない世界に再構築した後、“魔獣”と呼ばれる新たな異形の怪物が現れる。その世界にも魔法少女が存在し、彼女たちは魔獣と戦う。魔獣も「呪い」のエネルギーを持っていて、倒すとグリーフシードを吐き出す。QBは、魔女から得た時と同様に、それを回収する。

魔獣は、魔法少女にとっては新たな敵だが、QBにとっては新たなエネルギー源である。(ただし、ほむら以外の魔法少女とQBは、魔女と戦いエネルギーを回収していた世界の記憶は無い。)しかし、QBはほむらから魔女の話を聞き、それに比べて魔獣からエネルギーを回収するシステムは効率が悪いと感じたようだ。

君の話にあった魔女の概念は、なかなか興味深くもある。人間の感情エネルギーを収集する方法としては、確かに魅力的だ。そんなうまい方法があるなら、僕達インキュベーターの戦略も、もっと違ったものになっただろうね。

一方、魔法少女はより多くの魔獣を倒さなくてはならなくなり、任務の煩わしさが増大していたように思う。魔女が(使い魔を伴いつつも)1体で出現するのに対し、魔獣は何体も群れをなし、しかも次から次へと現れる。また、魔女は人々に悪さをして命を奪おうとするのに対して、魔獣は人々から感情を吸い上げ廃人にするという(ソースは制作サイドからの流出資料→http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1632.html)。

さらに、魔法少女は魔女にこそならなくなったが、魔力を使い果たすとソウルジェムごと消滅してしまう。さやかが、魔獣と戦った直後にマミが言うところの「円環の理(どういう意味?)」に導かれて消えてしまったのも、そういうことなのだと考えられる。

エネルギーの回収効率が悪く、リスクは決して小さくない。

はたして、まどかが自らを犠牲にして作り直した新しい世界は、言うほど素晴らしいものなのだろうか? 私には、前の世界と大差ないように思えた。ひょっとして、まどかが起こした奇跡の代償を世界全体で埋め合わせていて、プラスマイナスゼロになっただけではないだろうか。

そして、この「魔獣」による新しいエネルギーシステムが、私にはソウルジェムに代わる代替エネルギーに思えた。ソウルジェムを原子力と考えれば、太陽光や風力などの再生可能エネルギーがこれに該当するだろう。

しかし、どのエネルギーを選んだとしても完璧なものなど無く、メリットがあると同時にリスクやデメリットが介在している。再生可能エネルギーは、廃棄物の観点では非常にクリーンで、半永久的に資源枯渇の心配が無いことがメリットだ。だが、太陽光は天候に左右されて安定しないし、風力は低周波騒音や景観破壊などの公害リスクが伴う。しかも、現状では建設コストが高すぎる。

さらに、これらのエネルギーは個々の出力が小さく、いちいちスマートグリッドなどのシステムを通して調整しなくては使い物にならない。私が、煩わしい「魔獣」のシステムを、代替エネルギーとりわけ再生可能エネルギーのイメージと重ねたのは、この煩雑な効率の悪さだ。

その点、原子力は効率が良い。平常運用においてはCO2を排出せずにクリーンで、気象条件などに左右されずに、昼夜を問わず安定した電力を高出力で発電できる。発電そのものにかかるコストで考えれば、原油の需給バランスが崩れ始めている火力発電より安上がりでもある。まさに夢のエネルギーと言える。

ただし、このエネルギーにも大きな欠点が3つある。

一つ目は、事故リスク。東京電力福島第一原子力発電所の事故でも明確になったように、原発に絶対安全はありえない。地震と大津波以外にも事故リスクはいくらでもあるが、十分な対応はできていないのが現状である。もちろん、虚淵氏の言うところの悲劇と犠牲を無駄にせず、より安全性の高いものを作っていくことは可能だと思う。しかし、そうすると、コスト優位性が失われていくため、ある程度のリスクは残したまま運用するのが現実的だろう。つまり、一定確率で事故が起こることを想定、というか覚悟しなくてはならない。そして、事故が起った時の経済損失は、発電にかかるコストの優位性をいとも簡単に吹き飛ばす。

二つ目は、燃料であるウランの枯渇。ウランは希少資源であり、現在の可採年数は、約70年しかない。もし、世界的に原子力利用が進み、新興国や途上国も使うようになれば、この年数はさらに短くなっていく。つまり、ウランによる原子力発電は、今世紀半ばで終わるエネルギーシステムなのである。

三つ目は、使用済核燃料の問題。使い道の無い余剰プルトニウムを始めとして、冷却までに時間のかかる放射性廃棄物が大量に発生する。その処分にかかる期間は数万年と言われている。プルトニウムについては、すでに日本は約46トンを保有しており(政府発表は、核分裂性プルトニウムのみで約30トン)、半減期が2万4000年なので9万6000年後でもその8分の1の5.75トン(3.75トン)程度が残ることになる。しかも、この量は年々増え続けている。

日本政府は、この廃棄物を地中深くに埋めて保管する予定でいるようだが、この管理に安く見積もって年間10億円かかるとして、仮に10万年保管したら100兆円が必要になる。さらに、安全性を担保するためには、地殻変動の綿密な分析を行わなくてはならず、そのための調査研究コストもかかる。高レベル放射性廃棄物については、「オメガ計画」により核種変換を行い、処分期間を数百年に短縮する試みがなされているが、その研究費や核種変換にかかるエネルギーと労力を考えれば、さらに莫大なコストがかかることになる。

また、出力調整できないため、夜間電力に余剰ができてしまい、それを解消するために非効率な揚力発電を行っている。これにより、他の発電方法に対するコスト優位性を下げているとの意見もある。電力各社は、揚力発電にかかるコストを原発コストに組み入れていない。

私自身、脱原発を望んでいるので、原子力に不利な情報を多く出してしまった。

しかし、言いたいことはわかっていただけたと思う。

魔法少女を魔女に変えるエネルギーシステムと魔獣によるシステムが一長一短であるように、原子力も再生可能エネルギーも一長一短なのである。

安定していて“運転コストは”安い原子力は、事故リスクが大きく“後処理コストが”高い。ウランの可採年数も限界がある。

再生可能エネルギーは、資源枯渇の心配がなく、(概ね)クリーンで安全だが、出力が安定せず、使い勝手が悪い。電力不足に陥り、停電を起こす可能性も否めない。今後温暖化が進めば、局所的に日照量が減ったり風力が安定しなかったりすることは大いにありうるし。

これこそ、まさにQBが言うところの

どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかのゆがみを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ。

であり、さやかが言うところの

誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。あたしたち魔法少女って、そういう仕組みだったんだね。あたしって、ほんとバカ…。

なのである。これは、魔法少女(=原子力)だろうが魔獣(=再生可能エネルギー)だろうが関係なく。

それなのに、今行われている原発論争はどうだろう? 原発を推進する側も反対する側も、「希望」が一方的に実現すると言わんばかりに、メリットばかりを主張して夢みたいなことばかりを語っている。

放射線で死んだ人はいないから、原発は安全? コストが安い? 原発事故の被害者は、精神的肉体的経済的に大きく傷つけられている。これからのことを考えたら、生きた心地がしない人もいるだろう。コストの優位性を主張するにしても、後処理や揚水発電などの不都合な費用について目をつぶっているのはいただけない。

一方、「原発を無くしても電力は不足しない」と主張する人たちも、同様である。震災で火力発電所もダメージを負っている現状を考えれば、原発を止めることにより電力不足が生じる可能性は高い。その影響を考え厳しい節電を強いられる覚悟はもとより、大規模な停電が起こり社会的なトラブルが生じることも想定しなくてはならない。

奇跡も、魔法も無いのだ。

しかし、虚淵氏が言うように、「折り合いを付ける方法がいつかどこかにあるはずだ」と信じ、それを実現させるための努力を忘れては何も報われないだろう。原子力を本当に安全で放射性廃棄物を出さない(もしくは処理が可能な)ものにできるかもしれないし、再生可能エネルギーを使って安定的で強力な電力プラットフォームが作れるかもしれない。虚淵氏は前者を指して言っていたようだが、私は両方とも可能性があると思う。

もちろん、二者択一ではなく第3の道もあるだろうし、両者を折衷する選択肢もありうる。

一番良くないのは、「しかたがない」と現状で立ち止まってしまうことだ。

それでは、何も始まらない。

原発問題、ひいてはこれからのエネルギー問題を考えるなら、そのメリットを主張するだけではなく、デメリットやリスクを包み隠さず素直に認め、その上で国民が納得できるようなビジョンを描かなくてはならない。

これは、政府が政治力を発揮して行うべき仕事である。

え、今の政府に政治力なんて、それこそ奇跡や魔法を求めるようなものだって?

確かにね……。

(注:あくまでもこじつけです。)

おまけ

とはいえ、前にも述べた通り、私は原発から脱するべきだと考えている。

なぜなら、原子力と再生可能エネルギーにはそれぞれメリットとデメリットがあるが、両者は性質が全く違うからだ。

端的に言ってしまうと、原子力はデメリットとリスクを未来に押しつけてしまっているからである。それは、もちろん放射性廃棄物の問題。事故を起こした場合は、汚染した環境を未来に押しつけるかもしれない。

想像してみてもらいたい。例えば1万年後、私たちの子孫は、1万年前の先祖が残した放射性のゴミに生涯つき合わされることになる。かつて原子力と呼ばれた効率の悪いエネルギーシステムの残骸である。1万年も経てば、地殻変動による設備の破壊もありうるし、経年劣化も起こりうる。何度も危険な状態にさらされながら、綱渡りのようにこれを保全していくことだろう。

そのために、巨額の税金が投入されていることも想像に難くない。

すでに(ウラン核分裂による)原子力から受ける恩恵など一切無いのに、わけのわからん負の遺産としてリスクのみを背負うことになる。

ひょっとしたら、技術の進歩とともに、より効率的な処分方法が発明されていて、すでに廃棄物は消滅しているかもしれない。しかし、今のところその確証があるわけではない。

もちろん、それよりも早く破滅が訪れることもありうる。いや、その可能性の方が高い。商用原発が始まってからわずか50年余りで、3回も大きな事故が起こったのだから、1万年の間に起こる回数は計り知れない。未曾有の天災やヒューマンエラーが何百回となく繰り返されるだろう。

その結果として、人類を滅ぼすとまではいかないまでも、繁栄と進化には多大な悪影響を及ぼすはずだ。

では、脱原発して再生可能エネルギーに切り替えるのはどうだろう?

確かに、電力供給は不安定になり、停電も頻発、経済に悪影響を及ぼす可能性がある。それだけではなく、夏場の冷房や冬場の暖房を制限するなど快適な生活を我慢しなくてはならない。電力を使った娯楽も、気軽に楽しむことができなくなるかもしれない。医療機関にとっては、患者の生命に関わるようなこともありうる。

しかし、デメリットとリスクは、将来に持ち越さず自分たちで受け止めることができるのだ。

そもそも、停電はそんなに問題か。いや、問題なんだけど、絶対に起こってはならないものなのか。

だとしたら、その考え自体が、大きな問題である。

例えば、首都直下型の大地震が起きたらどうなるだろう? 何の前触れもなく電力が途絶え、数週間復旧しないかもしれない。

あるいは、太陽嵐。1989年の太陽嵐によりカナダのケベック州で起きた大停電は、600万人に影響を及ぼし復興に数ヶ月を擁した。太陽嵐による停電は広域で起こる可能性があるので、下手をすれば、日本全体に停電が起こって大パニックになる。

何が言いたいかというと、重要なのは停電を起こさないことではなく、停電に備えることだ、ということ。

そして、少しずつでも安定した電力、停電の少ない都市を目指していけばいい。

原発を継続していく資金と労力をこちらに振り向けていけば、劇的に進歩するのではないかと思う。

賠償金で精一杯な気もするが…。


さて、ここで終わらせてしまうと、結局「脱原発」の話になってしまい、不公平感を残してしまう。

そこで、今後も原発を推進していくためのとっておきのロジック(ロジックってほどじゃないけど)を最後に書いて、〆させていただきたい。

それは、これまでの原発事業を全て否定しつつ、居直ってこれを推進するやり方である。

今現在、日本だけですでに46トンものプルトニウムとそれ以外の高レベル放射性廃棄物を大量に抱えており、この処理にはどのみち数万〜数十万年の時間がかかる。このくらい先の未来だと、人類が生き残っているかどうかも怪しい。そう考えると、この数十万年という時間は、すなわち「永遠」と考えても大げさではない。永遠であるならば、100万年だろうが1000万年だろうが関係ない。

原発は間違っていたけど、来た道は戻れないからどんどん進めていってしまえばいいじゃないか、という考えだ。

そもそも、人類は極めて奇跡的に生まれ、地球の長い歴史の中で、ほんの一瞬だけ偶然に生かされているような種族である。太陽からの距離が適当で水と大気がある地球は、生命が存在する条件を満たした星ではあるが、人類が誕生し、繁殖できる気温や大気構成が持続するのは、そう長い期間の話ではない。過去の地球には酸素がほとんど無い時代や平均気温がマイナス20℃以下の時代もあった。これからもそうした過酷な時代が当然やってくる。絶滅は、結構簡単に起こりうるのだ。

例えば、アメリカにある世界最大の活火山イエローストーン。この火山は60〜100万年に一度のペースで大爆発を起こし、地球環境に劇的な変化を及ぼす。

まず、半径1000km以内に住む人の90%は、酸欠で窒息死すると言われている。噴煙は成層圏を余裕で突き抜けるほど高く吹き上がり、有害物質を大量に含んだ火山灰は、ジェット気流に乗ってヨーロッパや中国、ロシアを壊滅させる。多分、日本にも影響が及ぶ。生き残ったごく少数の人類も、日照量が激減して寒冷化した環境で、石器時代のような生活を強いられる。南半球は多少生き残るだろうが、北半球はほぼ全滅すると予想される。そうなったら、もはや原発とか放射性廃棄物の危険レベルでははない。

ちなみに、イエローストーンが最後に爆発したのは64万年前で、最近地盤が激しく隆起するなどホットな話題を振りまいている。

もっとも、地球の時間尺度で「今にも爆発する」というのは、数千年とか数万年の話なので、実際に噴火するのは1年後かもしれないし1万年後かもしれない。

しかし、そんなことがあるなら、数万年後なんて未来のことを心配しても意味は無い。その頃には人類が滅んでいるという前提で、どんどん放射性廃棄物を投棄し続ければいい。

そうやって、皆で捨て鉢になってヒャッハーって生きていくのも悪くないかも。

「自分が死んだ後のことなんてどうでもいい」作戦だ。

そういえば、まどマギでもこんなシーンがあった。

ねえ、私たち、このまま二人で、怪物になって、こんな世界、何もかも滅茶苦茶にしちゃおうか。やなことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃうくらい……壊して、壊して、壊しまくってさ……。それはそれで、いいと思わない?

ただし、多くの人間にとって、生きる目的とは、遺伝子を含めて何かを未来に残していくことである。たとえ1万年先の未来でも、滅ぶのを前提にした社会システムは、人々の活力を奪っていくのではないかと思う。

その前に、よく考えたら、今世紀中にウラン自体が枯渇するんだった。

ダメじゃん。


おあとが悪いようで……。



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